結果はだせない。でれば良し。
人から褒められるのが苦手だ。
けれど同時に、人から認められたいという思いも強い。
その二律背反の中に、僕という人格が居座っている。
人から褒められるのが苦手な理由は、
僕を褒める人間を、僕が信用できないことにある。
僕のようなものを評価する人間の存在を、どうにも肯定できないのだ。
それどころか、僕の見ていないところでは僕をコケおろしているとさえ考えてしまう。
「お前を褒める人なんているわけねーだろ、浮足立ってると足下すくわれるぞ」
僕の心理の底のほうは、そのような思考が泥のように渦巻いている。
求められた課題に対しては、結果は必ず必要だと思いこんできた。
いや、いまでも結果という1つの形に随分と囚われている。
それも根っからの貧乏性なので、
余すところなく、ベストな結果ということに固執している。
機会損失とか、コストパフォーマンスとか、歩留まりとか、
高い効率を求めるワードが、課題へ向かう僕には必ずつきまとう。
ところが、僕のような人間には、
そんなミラクルな結果を出すことは万に一つの確立だ。
60点取れれば御の字、80点取れれば記念写真の1枚でも残したくなる。
そのせいか、これまでの人生で「結果をだせた」という感動経験に乏しい。
60点とっても、80点とっても、90点とっても満たされない。
それどころか、取りこぼした10点〜40点を大いに反省して暗い闇に沈んでしまう。
結果が全てと、よく言われるけれど、
結果なんて本来は行動が結実した成果に過ぎないのだ。
行動した結果が10点でも20点でも30点でも、それが結果なのだ。
だから、結果が全てではない。
行動が、結果に至るまでの過程こそが全てなんだと思う。
だからこそ、行動を頑張った自分に満足できたなら、
どのような結果になろうとも、自分を労っていきたいものだ。
今は、そんな風に思えるようになった。